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乳がんを乗り越えて。デジタルマーケティング業界をリードする女性社長。石黒不二代さんインタビュー

support : おっぱいと向き合う

DATE : 2019.01.31

乳がんを乗り越えて。デジタルマーケティング業界をリードする女性社長。石黒不二代さんインタビュー

乳がんと闘い、乗り越え、今を自分らしく生きる女性にインタビュー。乳がんになってから考えたこと、気がついたこと、学んだこと……そのお話のなかには、私たちが人生に向き合うためのヒントがあるはずです。

今回登場するのは、デジタルマーケティングのコンサルティング・支援を行うネットイヤーグループ株式会社の代表取締役社長兼CEO、石黒不二代さん。IT時代の女性経営者の草分けとして、メディアにもたびたび登場しています。

日本とアメリカを往復するせわしない日々を送っていた2002年に乳がんが発覚し、数々の選択を迫られたそう。その根幹には、強固な意志と揺るがない信念がありました。

1度の検査では納得できず。さらなる検査を依頼。


――石黒さんが乳がんになったのは、15年以上前のことと聞きました。

石黒:ネットイヤーグループが渋谷のセルリアンタワーに引っ越したばかりだったので、2002年でしょうか。社員数が右肩上がりに増え、100人を越えた頃です。さらに経営を軌道にのせたいと朝から晩まで走り回り、今週は東京、来週はシリコンバレーと、日本とアメリカを行ったり来たりする生活を送っていました。そのせいで、ずっと時差ボケみたいな状態に。当時は、夜は眠れないのに、昼は眠くてたまらない、なんてこともありました。

毎日忙しくて、週末のんびりする時間さえなかったのですが、その日はなんとなくベッドの上に座って、一人リラックスしてたんです。一緒に暮らす中学1年生の息子は外出中。窓から光が降り注ぐ、ほんとうに気持ち良い日でした。

ふと、胸の脇に触れたら……あれ、なんか米粒みたいな硬いのがあるな?と。ほんとちっちゃいし、触れても、あったりなかったり。だけど気になったので、すぐに知り合いの医師に連絡し、診てもらうことにしました。


――すぐに病院に行かれたんですね。

石黒:マンモグラフィ検査を受けたのですが、結果ははっきりせず、「3ヶ月後にまた受けて」と医師に言われました。でも3ヶ月も待てないと思い、細胞診を受診しました。

結果は陰性でしたが、「100%がんではないってこと?」と医師に聞いたら、「世の中に100%はない」って言われて、なんだかすっきりしなくて。「100%大丈夫じゃなきゃ納得できない!」と思い、しこりを部分的にとって検査する生検もお願いしました。医師からしたら、ほんと面倒な患者でしょうね。でも医師も、この面倒な患者に付き合って、さらに大学病院を紹介してくれたんです。


――さらに大学病院で検査したのですか?

石黒:はい。大学病院で、再び検査を受けたのですが、結果は最初の医師の判断と同じ。さすがに私もそこで一旦は引きました。


――では、そのときに、乳がんを宣告されたわけではなかったのですね。

石黒:乳がんだとわかったのは、その3ヶ月後の検査です。今回も大丈夫だろうと、検査後に休暇をとってハワイに行ったんです。ところが、休暇明けに検査結果を聞きに病院へ行ったら、「悪性です。乳がんです」と宣告されました。「初期なので、すぐに手術を受けたら大丈夫ですよ」と言われたのですが、さすがにショックでした。担当の医師には、「手術は部分切除です」と告げられましたが、左胸の全摘出をお願いしました。

部分切除ではなく、全摘出を選択した理由。


――部分切除と言われたのに、全摘切除をお願いしたのですね。それはなぜ?

石黒息子のために、なんとしても私は生きなくちゃならない。会社のこともある。だからこそ、より完全な、しっかりした手術・治療をしてほしいという一心でした。部分切除と全摘出、全摘出のほうが再発の可能性が低くなるのなら、迷うことなく、そっちを選択します。

それとね、こんなことも思ったんです。当時、私はシングルで、この先ももちろん恋愛はしますが、私に胸があるかないかを気にする男性とは、付き合わない。女性の魅力は胸じゃないと。ねぇ?


――はい!(大きくうなずく) では、左胸の全摘手術をしたのですね。

石黒:医師は渋々納得し、全摘手術を了承してくれました。すると……やっぱり全摘出が正しかったんです。手術でいざ切ってみると、がんは乳腺全体に広がっていて、部分切除では無理でした。検査だけでは、すべてはわからないんですね。「私が部分切除を望んだとしても、全摘出になっていた」と手術後、医師に言われました。今は、あの頃より医療も進歩しているから、検査でもっといろいろわかるのかもしれません。


――息子さんや、会社にはどのように伝えたのですか?

石黒:息子には、そのまま事実を伝えました。私は乳がんであること。初期であり、1週間程度の入院で済むこと。必ず、この家に戻ってくるし、その後も何ら変わらないこと。息子は「あっそう」としか言わず、特に何も聞いてきませんでした。私と違い、クールで淡々とした子なんです。

会社の経営陣にも、同じように伝えました。みんな心配してくれたけど、「くれぐれも見舞いには来ないで」と念を押し、どこの病院かも伝えませんでした。いやなんです、お見舞いに来られるの。医師にも「初期だから心配いらない」と言われたのに、わざわざ騒ぐこともないかなって。もともと、こういうタイプなんです、私。


――手術前後や入院中、痛みなどはなかったですか?

石黒:手術は、私の感覚ではあっという間に終わり、手術前も手術後も痛みは一切なかったです。手術の翌日、医師から「動いても大丈夫、そのほうが回復が早くなる」と言われ、10階建ての病院の階段の昇り降りをしていました。

早く回復したかったから、走りましたよ。そしたら、ぎっくり腰になっちゃって……。ちょっとはりきり過ぎたかなぁと(笑)。ぎっくり腰はともかく、1週間足らずで退院できました。


――退院後は、どのような治療を受けたのですか?

石黒:退院後の治療は、月1回のホルモン治療注射のみでした。生活に不自由を感じることはなかったですね。体調も問題なかったし。ただ、ホルモン注射の影響で更年期障害みたいな症状があって、急に暑くなってわーっと汗をかくことがありました。いわゆるホットフラッシュです。

仕事にも、退院後すぐに復帰しました。仕事を前よりセーブしようとは思わなかったけど、1週間ずつ日本とアメリカを行ったり来たりというのは、やめました。さすがにこれは身体に負担になるなと思い、渡米の回数を減らしました。

自分にとって、大切なものは何か。他人任せにはしない。


――ショックを受けたというものの、乳がんである事実を冷静に受けとめられたのは、石黒さんがアメリカで暮らしていたことも影響しているのでしょうか?

石黒アメリカは、女性の8人に1人が乳がんになると聞いたことがあります(※)。11人に1人といわれる日本よりずっと多いんです。そのため、乳がん検診はほぼ義務となっています。私も、アメリカにいた頃は年1回乳がん検診を受けていました。だけど、帰国してからは検診を受けてなくて、なんとなく気になっていたんですよね。あのとき触診したのも、そのせいだったのかもしれません。

乳がんを予防するため、アンジェリーナ・ジョリーが健康な乳房を切除したことが話題になりましたが、彼女の気持ち、私にはよくわかります。


――乳がんになる前と後、生き方や心の持ち方に変化はありましたか?

石黒:それがね、何にも変わってないんです(笑)。仕事、セーブしなきゃとか思わなかったし。ただ、身体のこと、ストレスのことは前より考えるようになったかも。まあ、もともと落ち込んだり悲観的になったり、なんて性格じゃないんですが、なにかトラブルが起きても、よりどーんと構えられるようになりました。

乳がんの原因はわからないけど、何かしらのストレスが影響したのかもしれない。だから、なるべくストレスは抱え込まないよう、意識しています。


――その後、左胸の再建はされたのですか?

石黒:私は必要ないと思っていたんだけど、形成外科医にしつこくすすめられ、じゃあやってみるかと3年後に再建しました。この間再発がなく、再建が診断や再発に影響しないと知って、安心したからというのもありますね。でも、女性の魅力に胸は関係ない!って気持ちは変わらないですよ。


――お話を伺っていると、石黒さんには太い軸があるというか、迷いがないですよね。

石黒:私にとって大切なものとそうじゃないもの、それがはっきりしているんだと思います。世の中には、いろいろなものあふれていますが、自分にとって本当に大切なものって、そうそうたくさんあるわけじゃない。ビジネスも同じです。これだけは守る、このリスクは何としても避ける、ということさえ決めれば、あとはどれを選んでもそう大差ないのでは。

健康についても、同じだと思います。日本女性の11人に1人は乳がんになっているというデータがあるのだから、そこはきちんと受けとめ、触診や検診など自分がやれるべきことをやって、リスクを避けるべきです。生活も、仕事も、健康も、他人任せにせず、自分にとって正しい選択をする。若い女性たちにも、ぜひそうしてほしいですね。


会社のリフレッシュスペースで楽しむ石黒さん。この日は、卓球にチャレンジ!

※出典:https://www.breastcancer.org/symptoms/understand_bc/statistics

PROFILE

石黒不二代 いしぐろ・ふじよ

ネットイヤーグループ株式会社代表取締役社長兼CEO。名古屋大学経済学部卒業。米スタンフォード大学MBA取得。ブラザー工業にて海外向けマーケティング、スワロフスキー・ジャパンにて新規事業担当のマネージャーを務めた後、シリコンバレーでハイテク系コンサルティング会社を設立。YahooやNetscape、Sony、Panasonicなどを顧客とし日米間のアライアンスや技術移転等に従事。1999年にネットイヤーグループのMBOに参画し、2000年より現職。現在、内閣官房「高度情報通信ネットワーク社会推進戦略本部」本部員、経済産業省「産業構造審議会」の委員などを務める。
https://www.netyear.net/

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